東京百舌

二枚舌ならぬ百枚舌です。適当なこと言います。人が言わないことを言うのが努力目標です。言いっ放しです。あしからず。

ある冴えた財政再建策

国会のある場所を、商用施設なり、住宅地なり、オフィスビルなり、ホテルなり、コンサートホールなり、野球場なり、アミューズメント施設なり、それらの復号施設なりにして貸し出せば、収入が見込めるのではないの?
東京の中心だし、立地条件は良いと思う。

国会は、その施設の最上階か、地下に作れば良いし、

でも、実際に行なってみたら、おかしな箱物施設つくりそうだけど、

建築費も際限無くふくれあがったりして、、、

 

そして、日本の醜悪さの集約がそこに現れるという

昔より貧富の差が学力に影響を与えているという理由

www.yomiuri.co.jp

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画像はwww.yomiuri.co.jp より 

経済的に困窮している世帯とそうでない世帯の子供の学力格差が小学4年生頃に広がる傾向にあることがわかった。

 

関連して、苅谷剛彦の「教育改革の幻想 (ちくま新書) 」のアマゾンレビューを思い出した。このレビューに書かれている内容が面白い。

学校週5日制は占領下、1970年代の日本教職員組合の取り組み、そして1980年代の国連機関や欧米諸国からの労働時間短縮に関する圧力に対する政治的背景があったことが良く知られています。学校週6日制から週5日制に移行するにあたって、教職員の労働時間も他の労働者と同じように短縮を考えた場合、(予算の制約から)配員が同じであるならば子ども達が受けられる授業の時間を短縮するしか、方法はないことになります。

 

ゆとり教育の目的が『全員が理解できる教育』としているのであれば、到達目標を下げるのはまだ理解できるとして、教育時間まで減少させるのでは本末転倒であることは素人にもわかりそうなことだ。また、もともと勉強しない子供が週休2日で増えた休日に自主的に勉強するわけないことくらい想像できない方がおかしい。

 

そういった見方をするのであれば、
週休2日制に伴い、学校での教育時間が短縮された現代は、学校外、家庭での勉強が学習に与える影響が相対的に大きくなり、
その結果として、昔より貧富の差が学力に、より影響を与えているといえよう。


どうしよう(ジョイマン風に言ってみた)。

 

 

もしも、子どもに千差万別な成長曲線があるのであれば

飛び級と積極的留年を合わせた学校運営が必要なのでは?
それは、科目ごとが理想だと思われる。

今のIT社会であれば、キメの細かい対応ができるのではないだろうか?
というよりも、外国では、以前より、飛び級や積極的留年はあったりするので、それは社会の了解が得られるかどうかの問題だと言える。

理解が足りないまま進級しても、それは時間の無駄になる。
成長曲線にも個人差があるだろう。
ならば、飛び級と積極的留年を合わせた学校運営が必要なのではないだろうか?

 

通訳者であり、エッセイストであり、小説家でもある米原万里さんの小中学校時代のプラハ生活を元にした小説では、
親が、大学教授(たしかそうだったような・・)の息子が一年留年していて、一年上級生の同い年の女の子と付き合っているというエピソードが書かれていて、留年していることへのなんの後ろめたさも無いことに驚いたことがある。
その米原さんが中学で日本に戻ってきたときに、母親が学校に行って留年したいと相談したところ、学校側が「それは劣等感につながるから」と断ってきたという話がある。
それは、今もたぶん変わらない。

 

それでも、飛び級と積極的留年を合わせることは学習の理想だと思う。
体育などは体格による落ちこぼれや習得機会の損失を補うことにもなる。


例えば、「数学は飛び級で、でも、背丈は低いし、まだ体格ができていないから、体育は留年で」とか
「勢いがある今、英語に力を入れたいところですが、それをすると、国語と芸術の遅れを取り戻す時間が足りなくなります。1年留年だけでは取り返せないかも知れません。どうされますか?」とか
「理科の理解が足りなくて、このまま進んでも落ちこぼれます。留年して、来年は理科に重点を置きませんか? 国語のほうは、飛び級して古典を始めても負担は無いと思います」とか


時間が有限であるかぎり、子どもの時点である程度の得意分野の選択の必要が出てくる可能性がある。そして選択の正否は、その子どもが大人になったときの社会が決めるのだろうから、ある種の賭けとなる。

 

中学生棋士藤井聡太さんが、将棋のみか高校進学かで悩んだ話に似ていて、
そういった、人生の選択が、どの子どもにも降りかかる社会になるのかも知れない。

スタートで差がついたら、なかなか取り返せないよ

ikechan0201.com

これを読んで思ったのだけれども、

 

まあ確かに、

小学校で勉強できた人ってその後も勉強できるんじゃない?
小学校でスポーツできた人ってその後もスポーツできるんじゃない?

などなど

 

逆に、

小学校で勉強できなかった人って、その後も勉強あきらめているんじゃない?
小学校でスポーツ(逆上がり・二重跳び・バック転 含む)できなかった人って、その後もスポーツあきらめているんじゃない?

などなど

 

それを覆す人もいるにはいるけども、少数だと思われ、

 


つまり、

勉強やスポーツでは、あと、仕事でもたぶんそうだけども、

 

スタートで差がついたら、なかなか取り返せないよ

 

ということか・・な。

 

それってアイドルと同じじゃない?

gigazine.net

反対に、少年少女の時代に頻繁にパーティーに行っていたような人気者の子どもは、25歳の時には魅力を失っているということも確認されており

「人気者が25歳の時には魅力を失っている」って、
それってアイドルと同じじゃない?

異論はあるだろうけど。
異論はあるだろうけど。

国会議員はセンター試験を受けるべき

安倍首相が「云々」を「でんでん」と読んだという話があった。

読み間違いは誰でもある。
別に直せばいい話である。

で、
ここからが本題。

ここに、ひとつの提案がある。
国会議員全員に、その年のセンター試験を受けさせたらどうだろうか?
ちゃんと試験管をおいて、全学科を受けてもらう。自信がある議員には、特定大学の個別試験も受けてもらう。
そして、点数を公開する。
閣僚の資産公開みたいなものだ。

国語のできない議員に、国語教育を語って欲しくは無い、
英語のできない議員に、英語教育を語って欲しくは無い、
科学の知識が無い議員に、イノベーションや科学を語って欲しくは無い、
社会の知識が無い議員に、立法に関わって欲しくは無い、

議員の得意とする数科目でも良い、今、日本の国の議員が、どのレベルにいるのかを国民として知りたい。

我々は、どれほどの資質のある人物に命を預けているのかが知りたい。

もっとも、弁護士なのに・・・、という議員もいる。

でも、ITをイットという首相を笑って許した先に、今の日本があるのではないだろうか?