東京百舌

二枚舌ならぬ百枚舌です。適当なこと言います。人が言わないことを言うのが努力目標です。言いっ放しです。あしからず。

2002年の内田樹が今を見てる

『期間限定の思想』(晶文社)の中の『「脱欧入亜」する日本』(2002年6月)からの引用です。文章をはしょって短縮しています。

 

 私は別に今の日本の若者が「ダメ」だと思っていない。
 たしかに「向上心」はない(知的にも、政治的にも、経済的にも)。
 しかし、それは「脱亜入欧富国強兵立身出世」に一元化していた価値観がばらけてきたことの表れであって、「ダメだなー、おれは」といってへらへらしている若者のおかげで社会的リソースの競合的争奪は緩和されており、マーケットがシュリンクしている時代においては「ダメである」ことは総体としてはクレバーな選択である。

 私は社会的な達成目標は低めに設定したほうがよいと考えている。
 ほとんどの成員が「それなりに」社会的使命を果たしている。というふうに思えるように社会は設計されているほうが良い。
 みんなが何となく自足してにこにこほっこりしている社会の方が、一握りの人間がスペクタキュラーなサクセスを収め、大多数の人間がよだれを垂らしてその姿を羨望する社会より間違いなく住み易い。
 
 ふたりで六畳一間のアパートに住み、発泡酒を呑みながらTVでサッカーを見て、たまの休みの日には甲子園球場の外野席で阪神戦を見て、帰りにラーメン屋に寄るだけで「ほっこりしあわせ」というような感受性が若い人たちのあいだでしだいに根づきつつある。
 
 ただ、話はこれだけでは終わらない。

 この「ダメ人間」世代の歴史的機能は「バブル期における、ゆきすぎた蕩尽と成功志向の補正」であるので、ある程度補正がきいて、社会システムがうまく動きだしたら、事情は一変する。
 つまり、「パイの奪い合い」からこの世代はまるごと「脱落する」ことで競争が緩和され、シュリンクしたマーケットの中でリソースの分配が秩序を回復したとき、この世代はその歴史的使命を終えて、まるごと「棄てられる」可能性があるからである。
 彼らより若い世代、およびアジアからチャンスを求めて日本のマーケットに参入してくる若者たちは、彼らより高い地位、高い賃金、大きな権力、多くの情報を(彼らがスペースを空けてくれたおかげで)はるかに容易に手にすることができるだろう。そして後進に「スペースを譲った」ダメ世代は、その後いわゆる「3K労働」を担当するブルーカラー層を構成することになる。
 これは確実性の高い予想である。
 いま十五歳から三十五歳までの「ダメ」世代はあと二〇年後くらいには、「スキルもないし、購買力もないし、知的生産性もないし、情報発信力もないし、政治的主張もないし・・・・・・ま、ひとことでいえば『どうでもいい人たち』だよね」としてそれ以外の世代集団から、ずいぶんぞんざいに取り扱われることになる。
 気の毒だけど、それはどうも避けられなさそうである。


「ほっこりしあわせ」は、今で言うマイルドヤンキーやジモティー(ジモッティー)でしょうか?
3Kという言葉は今は聞きませんが、ブラック、非正規、なんかは聞きますね。
「いま十五歳から三十五歳」これは2002年なので今は「二十九歳から四十九歳」となります。
どこまで当たっているんでしょうかね。この世代は、あと六年で役目を終えるのでしょうか?

最後に内田樹はこんな言葉で締めくくっています。

ただ、この世代はまるごと「社会最下層送り」になる可能性があるから、将来ある程度の社会的プレスティージは欲しいよなと思っている若者は少し気合いを入れた方がいいねと老婆心ながら申し上げただけである。
 同世代の人間と自分を比較するな。
 これが若い世代への年長世代からのご忠告である。