東京百舌

二枚舌ならぬ百枚舌です。適当なこと言います。人が言わないことを言うのが努力目標です。言いっ放しです。あしからず。

映画泥棒が不快なのはそれがシャドーワークだからだと思うのよ

表題の通り

anond.hatelabo.jp

あたいがシャドーワークという言葉を知ったのは子供のころ
学校において先生というのは尊敬の対象であったはず。なのに、それが変わってきて、学校という場の意味も変わってきたことをイバンイリイチのシャドーワークを使って読み解いている学校の先生の話があって。それで本を購入したことが始まり。
ほとんどの文章が理解不能であった。日本語であるのにあんなに理解できない文章があるなんてあのとき初めて知った。

で、内容はというと、社会にはシャドーワークというものがある。日本語に訳せば「影の労働」ね。影の労働でもあり無償労働でもある。だから苦痛。

 

通勤・通学が苦痛なのは、それが会社や学校を維持するための影の労働だから、という考え方。
あと、通勤・通学することにより、そのサービス業を維持させているという面でも影の労働とみなす。

学校に行くことも、勉強自体が目的となっておらず、社会に出て良い会社に入るため、社会を支えるための影の労働になっている。だから辛い。
ついでに勉強することは教師という職業を支える影の労働にもなっている。教師に教えを乞うというよりは、私があなたを養っているという感じにすらなっている。

あ、そうそう、コンピューター・エンジニアが就労時以外の自学自習を嫌がるのもそれが影の労働になっているからと説明できる。

でね。映画泥棒。

これ、あたいにとって、たぶんシャドーワーク。

映画泥棒を作る人たちの生活をあたいが半ば強制的に見せられることによって支えている。
また、これを見た後でないと映画が見れないということは、通勤・通学的な強制と被ってくる。

もうちょっとこれだけではない部分、説明しきれていない部分があるんだけど。そこはまだうまく説明できない。シャドーワーク以外で説明しなくてはいけないかも知れない。

ただ、今言った説明が当たっているのなら、映画泥棒をなんとも思っていない人は通勤・通学が苦痛でない人たちだと思う。

それか他人の苦痛に鈍感な人たち。

後は、どの映画館でも同じものを見せられて辟易しているというのも大きい。なのに半強制的に見せられるという。
震災のときにみたいに、CMがAC一色になって、しかもCM内容が一種類になったとしたら飽きない?で、内容が「秩序を守りましょう」というもので、番組の合間に毎回繰り返し見させられるの。
単純視聴影労働と言えるのかも。


元の話とはズレてるけどね。